地下鉄がホームに入ってくる音が怖いかもしれない
人と遊ぶってなったら大体仙台駅周辺でしょ。
1時間弱かけて歩くか、地下鉄に甘えるか。
最近は専ら甘えさせてもらってます。
暑いからね。
そろそろSuica作らないといけない。
今回の記事は地下鉄内で書き始めてしまったので書き終える頃には作れてるといいな。
今日も甘えました。
18時に待ち合わせをしていたので17:44にホームを出るやつ。
17:43に地下鉄がホームに入ってくる。
風が唸る音がだんだん強くなってくる。
そこでちょっと恐怖を覚えてしまったんです。
地下鉄が見えてきたらもう怖くないの。
まだ見えないけど音だけ近づいてくるあの短い時間わかるかな。
本読んでたんだけど読めなくなっちゃったので文章を書く方に逃げました。
何かわからないけど怖かったなぁ。
地下鉄の話の続き。
音には結構敏感なんですよ。
小1から高2までピアノやってたから音感はまぁあるし音楽は大好きなんだけどね。
そういう話をしたいんじゃなくて。
例えば、教室で誰かが椅子引くでしょ。
わたしの高校結構古くて椅子引く音すごかったんですよ。
その音には毎回びびってた。
体がびくってなっちゃうレベルで嫌いでした。
大きい音が急に鳴るの苦手なタイプです。
なんだっけ、そういう病気あるよね。
そこまでじゃない気がするけど。
わりと何にでも繊細なところがあるのかもしれません。
精神的にも、身体的にも。
ちょっとの変化でかなりダメージを受けている気がします。
身体的なのはすごくわかりやすくて、さっきの音もそうだし、花粉に始まるアレルギーもかなりあるし、環境の変化に敏感だから季節の変わり目は体調崩しがちだし。
精神的に繊細っていうのはブログ読んでくれてるみなさんならわかると思います。
いつもありがとうございます。
少しの変化でもこんなにダメージを受けるのに、大きな変化なんかはそれはもう苦手で。
最近考えたことです。
自分にも他人にも期待値がすごく高いんです。
自分に期待するところが大きいから、満足するまでやらないと気が済まなくてしんどくなっちゃう。他人にも期待するところが大きいから、それから外れちゃうとあれ?ってなって距離を置きたくなってしまう。最低な女です。
でも「期待しない」ってすごく難しいと思う。
期待するって人を信じるのと少し似ている部分があると思っていて、期待してる時ってすごくわくわくしてるんです。楽しいんです。ただ、その通りにいかないことももちろんあって、そうなると悲しくなっちゃうんです。その落差が大きければ大きいほど悲しくなりようがすごくて。悲しいというか寂しいというか。
めんどくさいです。
そういうめんどくさい自分は嫌いです。
話が飛躍し過ぎてしまったような気がします。
たぶん「気がする」程度じゃないです。
”怖い”っていうタイトルで話を始めたので怖いエピソードもう一個話しますね。
本当にあった怖い話。
メインはこっちじゃないので簡単に終わらせたいんですけど、外国人のおじさんに流暢な日本語で「花柄の服かわいいね、お花好きなの?」って声を掛けられて、わりと長い距離付いて来られました。
怖かったです。
わたしのはまだいいほうみたいで、家までついて来られたりとかするらしいですね。
怖いね。
もう一生夜に1人で仙台の街は歩きません。
でも今日はなんか歩きたい気分だった。
Suica結局作れたのに地下鉄を使おうとしませんでした。
音が怖かった記憶が新しいからかな、
わかりませんけど、全部自分のせいです。
自分に話しかけてくる人なんかいないと思ってました。
ぱっと見話しかけにくいし、とっつきにくそう。
でも、話してみたら全然そんなことないね。
今まで結構言われてきました。
これを上手く「高嶺の花感あるよね」って言ってくれた人もいたけど、そんな綺麗なものじゃないと思います。だって第一印象が悪いってことじゃないですか。話しかけづらいって社会で生きていく上で致命傷じゃないですか。今はそんなに不自由してないけど、問題はこの先で。
やっぱり自分に自信がないのが問題なのかな。
もっと自分に自信が欲しいなぁって最近思います。これはまた今度ね。
朝ごはんが楽しみなときって安心して眠れます。
今日(もう昨日だけど)遊んでくれた友達が地元のパンを御馳走してくれたんです。美味しいって有名なやつらしいです。ありがとうございます。
コーヒーでも淹れて優雅な朝を過ごそうと思います。
土日暇なのでずっとあっためてた数Ⅲにでも手をつけようかな。