文系大学生のTwitterの延長

一緒に雨宿りしましょう。

世の中境界線が明瞭なもの少なすぎ。

『地下鉄がホームに入ってくる音が怖いかもしれない』から7日が経っているのでちょうど1週間ぶりです。週1くらいで書きたいなぁとは思っていたのでまぁいいペースってところです。

久しぶりに感じますか?

楽しみなものって待ち遠しかったりするので、こんな小娘の文章でも楽しみにしてくれる人がいるならそれこそ生きがいの一つになります。

いつもありがとうございます。

お待たせしました。

わたしの文章恋しかったでしょ。

今回もカオスになる予感しかしていませんがお付き合いください。

前置きおわり。

 

タイトル見ましたか。

世の中境界線が明瞭なもの少なすぎ。

なんでこのタイトルにしたかって話しましょうか。

最近ちょっと涼しくなったと思ったら急に暑くなってまた涼しくなったじゃないですか。

この世界の天気を操ってる人(人じゃないかもしれません)が気分屋なんでしょうね。

まだ夏のままでいいか、秋にしてしまおうか迷ってるんです。

そう考えたらちょっと可愛い。

でもわたしたちにとってはちょっと迷惑ですよね。

わたしたちは変温動物ではないので着る服で体温を調節しないといけない。

朝何を着て出掛けようかなって考えるのにちょっと時間かかっちゃう。

その時間が好きな人ももちろんいるんでしょうが、わたしはそれすら面倒臭がってしまう人間なのであんまり嬉しくない。

そういう物理的な問題も存在するし、精神的な問題も存在します。

まだ夏に縋っていたいんです。

大学1年生18歳の夏をまだ失いたくないんです。

ちょっと暑くなった日の昼に起きて「夏だ!」って言ってそこから準備してちょっと遠出したりするんです。電車で海まで、とかね。

こんなのも許されます。

夏なので。

前も夏についてちょっと語ったし実は夏が好きなのかもしれません。

話が逸れましたが、夏と秋の境界線ってはっきりしてないじゃないですか。

季節なんて全部そんなもんだと思うけど、こうなったら秋、っていうのはないでしょ。

ふとしたときに「あ、もう秋か」ってなるんですよ。

この前実家から送られてきた梨を食べてわたしは密かにそれを感じていました。

美味しかったです。

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梨を剥くのこの前初めて楽しいと思いました。

自分のためだけに剥いた梨じゃなかったからかな。

食べ物が美味しいので秋も嫌いじゃないです。

秋と冬の境界が曖昧な時期は空気が綺麗だから好きです。

境界が曖昧だからってそれが嫌なわけじゃなくて、それを楽しめることもあります。

どちらかというと楽しめないものの方が多い気がします。

 

共感を得られやすそうな夏と秋の境界っていう話からしました。

そもそも共感してもらうために文章を書いているわけではなくて、ただ考えたことを垂れ流しているだけなので先の一文にはなんの意味もなかったかもしれません。

そういうことでさえ文章にしてしまいます。

ここからははるね節全開になる気がします。

準備はいいですか。

 

最近ちょっと考えたのは、おとなとこどもの境界です。

なんとなく漢字使わないでおきます。

年齢によって決まるわけでは決してないと思います。

20歳になったら成人だからおとな、とはなりませんよね。

ただ、お酒が飲めるようになるとか、たばこが吸えるようになるとか、そういうのに憧れがある人はそれができるようになって「自分おとなになったな」って感じるのかもしれません。

わたしはそうではないので。

たかだか20年生きてきたってだけなのになんで「人生の節目!!」って感じで祝うんでしょうね。ただ年を取っただけなのにね。よくわかりません。

じゃあわたしはどうなったらおとなになったって感じるのかな。

まだなってないからわかるわけないよっていうのももっともですけど、たぶんわたしはおとなになりたいこどもなんですよ。

おとなについて想いを巡らせるってたぶんそういうことです。

文章で想いを馳せます。

 

好きなだけで一緒にいられるのがこども

好きなだけじゃ一緒にいられないのがおとな

 

わたしの大好きなツイッタラーさんが言ってました。

おとなとこどもの違いに関して議論するときに恋愛が絡んできがち。

じゃあずっとこどものままでいいや。

ずっとそう思っていたいけどそうもいかないんでしょうね。

もしわたしが何かのきっかけで自分がおとなになったって自覚したとして、その時に一緒にいたいって思う人は今一緒にいたいって思う人と違うのかな。

そう考えるとちょっと怖くなります。

100%この言葉を理解できているわけではないし、そのまんま受け入れることができるかって言われると全くそんなことはないけど、考えるきっかけになったのでこれを読んでくれる人たちにも文字として読んでみて欲しくて。

「おとな」に想いは馳せるけれど、憧れてはいるけれど、まだこどもだって自覚してる現在の自分に甘んじていたいんですよ、たぶんね。

まだその現実に目を背けられるうちは背けている方がいいと思います。

だっておとなについて考えているともう心細くって仕方ないんです。

今のわたしがいちばん不明瞭なところにいるのかもしれません。

田舎から出てきた18歳の小娘なので、先輩たちなんかはもっと的確な答えをくれるかもしれない。何かあったら教えてください。

 

境界が不明瞭なものってもっとあります。

好きと嫌いとか。

嫌いって好きの延長にある気がするんですよね。

これはまた今度ね。

ただ一個だけ今思いついたので言いますけど、「好き」って伝えた方がいいですよ。

別に頻度の問題じゃなくて、伝えることに意味があるので。

◯◯だからわかるでしょ、っていうのはただの怠慢です。

その◯◯と「好き」の関係性は判断しかねますから。

だからってわたしができてるの?って言われるとイエスとは言えないんですけど。

ごめんなさい。

怒られそうだな。

あとはこの前ちょっとTwitterで友達と話しましたけどサディストとマゾヒストとか。

この前面白い解釈を見つけたので共有しておきます。

「S←→M」じゃなくて、

「M→→S」だそうです。

あんまり詳しく言うとセンシティブコンテンツになってしまいそうなのでやめます。

 

明日は人を待つ側じゃなくて待たせる側になれそうなのでわくわくしています。

待つ側って楽しみだけどちょっと寂しいんですよ。

待たせる側ってどんな心情なのかな。

まぁいいです。

明日は雨なんですかね。

今予報見たら確実に雨ですね。

傘さすの下手なので傘さしてるのに濡れてる変な女になります。

おやすみなさい。