文系大学生のTwitterの延長

一緒に雨宿りしましょう。

Give me your Friday.

こんばんは。

あけましておめでとうございます。

冬休みの間に一本記事書いてよ、と言われていたのを思い出して、乗り遅れた電車を追いかけようと思いました。

でもどうせみんなまだ気分は冬休みの延長を走ってるんでしょ。

今日からまたいつもの日常に分岐点のスイッチ切り替えられましたか。

わたしはもちろんそんなはずなどなく、実家でぬくぬくしながら、本を読みながら、プレゼンの資料を集めながら、やらなきゃいけないことだけをやっています。

あと1ヶ月ちょっとで今年の授業も終わりだって考えるとちょっと寂しいけど春休みしたいことを考えていったら楽しみですよね。

今回も特にタイトルに意味はないです。

わたしが大好きな文なんですよこれ。

ある曲の歌詞です。

これ好きすぎるので留学先で男を口説くときこれ使います。

嘘です。

 

そんなことはまぁどうでもいいんです。

今年の抱負とか、いろいろ今考えてることを文章にできたらいいなぁと。

相変わらず自己満足だらけですが今年もどうぞお付き合いください。

はじめます。

 

はじめまして2021年。

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明けましたね。

今年の抱負なんて大層なものは言葉にしたくないんです。

言葉にすると責任が生じるので。

これは中学校3年のときの担任(めちゃくちゃ若かった)が言ってたからそれからずっと覚えてるし、言葉の持つ力を人一倍理解している(つもり)だからこそ、その使い方には気を付けたいと思っていて。わたしが言葉に引っ張られてしまうことが多いっていうだけです。すぐになんでも信じるし信じたくなってしまうし、期待してしまうし、それが裏切られた(言い方悪いですけど)時の落ち込みようと言ったら。できているかどうかと言われると特大ブーメランなんですけど。

頭の中で考えるのは自由だけど、何かの形で残してしまうと責任が生じるんです。

これこそ抱負になりそう。

言葉の受け取り方に気をつける。

言葉の使い方に気をつける。

言葉にしなきゃいけないものをもっと言葉にする。

責任を負いたくないからって逃げない。

まずこれひとつです。

 

みんな月に行ってしまっても太宰治商法

太宰治商法。

最近ずっと言ってます。

ごめんなさいね。

そろそろ飽きたね。

精神安定はずっと考えています。

波が激しすぎて周りに迷惑をかけるのはもちろんなんですけど、一番しんどいのは自分なんですよ。

一時期精神科行くことも考えました。

繊細すぎていろんなことを考えすぎてしまう。

すぐキャパオーバーしてしまう。

でも精神科に行ったところで。

行って、例えば、精神が安定するような薬をもらったとして。

それを飲んでしまったら、この繊細さですぐ悩んだりしんどくなったり、でもなんとか必死で生きる自分が失われてしまうのかな。

それはちょっといやだなぁ。

もうちょっとひどくなってどうしようもなくなったらまた考えます。

多分今のわたしの生き方、この自分ではどうにもならない波に飲まれてもがきながらなんとか息をしているっていうのは変わらないと思います。

みんなが月に行ってしまっても。

 

治らない究極の天邪鬼

治りません。

今載せたツイートはそんなに関係なかったね。

いや、夜が大っ嫌いって言いながら眠れないから夜は起きちゃうっていう点では関係あるか。

例えば、好きなのに嫌いって言っちゃうとか。

これはなんか小学生男子の恋愛の仕方みたいだからよくない例。

寂しいのは嫌いなはずなのに、寂しくならざるを得ないような、チルな音楽を聞いて、どうしようもなく寂しくなってしまうとか。

これは割といい例かもしれない。

究極の天邪鬼。

本当に寂しがりなんですよね。

フワフワのウサチャンに負けないくらいの(突然引っ張り出してきてごめん)。

寂しいのなんか大嫌いなはずなのに。

でも好きな音楽に罪はないし聞きたいものを聞くだけなのに。

前にお兄ちゃんみたいな存在の一個上の友達に「寂しいの好きなの?」って聞かれたことがあります。多分やってることは寂しいのが好きな人がやることみたいに見えちゃうんです。

でも寂しいのは好きじゃないと思ってるんですよ、自分ではね。

よくわからなくなってきたからこの話おわりにします。

 

1人でも生きていけるBad Lady

悪い女になりたいって大学に入ったあたりから言ってるんですけど、絶対に無理なんですよね。

わたしの悪い女のイメージは多分世間一般とは違うので、もうかけ離れているレベルなので、それを説明するのが先なんでしょうけど、何せめんどくさいので、想像で。なんとなくでお願いします。

とにかく1人でも生きていけるようにならないと始まらないんですよ。

ただ、それができないんです。

依存体質がやめられないんです。

できることなら四六時中人と一緒にいたいし、いられなくても人の存在を感じられる方法が欲しいんです。

1人でも生きていけるっていうよりは、1人の時間を楽しめるようになりたい。

友達も恋人も、人生のオプションでしかないんだから、それを真ん中にしてしまったらそれは自分の人生を生きていることにならないかもしれない。

でもね、1人になっちゃうとどうしても、さっきも言いましたけど、寂しくなりたくないくせに寂しくなるようなことばっかりするから、1人の時間が嫌いになってしまうんです。さっき引用したツイートの、「夜が嫌い」っていうのも1人の夜が嫌いなだけです。たぶん。

あーこういうのが太宰治商法って言うんですよ。

自分の精神の不安定さを切り売りしてるんです。

なんとなくわかりますか。

それならそれで、文章を書く人生にシフトしてもいいんですけどね。

ライターのバイトとかあればやってみたいですね。

でもわたしが書ける文章って、たぶんこういう自分のことをひたすら語るエッセイみたいな物ばかりで万人には受けないんです。

わたしっていう人間がそうなんです。

好き嫌いがはっきり分かれる。

だからわたしが書く文章も好き嫌いが分かれる。

好きって言ってくれる人は一定数いるんだけど、固定でお金を大量に落としていってくれるおじさまはいるんだけど、絶対表には出せないキャバ嬢みたいな。

こいつの良さをわかってあげられるのは俺だけなんだから、って思わせるタイプの。

あんまり広めたくない感じの。

受け売りですよ。今まで言われてきたことをちょっと誇張して言ってるだけです。

今年も好きって言ってくれる人を大事にしながら、わたしが好きな人たちも大事にしながら、一人の夜が好きになれるように模索しながら、必死で生きていこうと思います。

過去最高レベルで長いし重たい文章になってしまった自覚があります。

今年もどうぞご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

終わり方考えてなくてボロボロなのはいつもの通り。

はるね