文系大学生のTwitterの延長

一緒に雨宿りしましょう。

メロンパンの話と見せかけて朝のテンションで恋愛を語る女

文章はタイトルでかっこつけたい人間なので、これまでの記事はタイトルを先に決めてから文章を書き始めていたのですが、今回は違います。

ノープランです。

タイトルが決まっていない状態で文章を書くのはすごく不思議な感じ。

なんでそんなことしようと思ったかって、暇だからです。

やることがないんです。

昨日人生で初めてカラオケオールというものを経験して、帰宅してからほぼ一日中寝ていたからか、夜なかなか寝付けず、朝の5時過ぎとかに起きてしまって、TwitterのTLもひと通り追ったし、することがないなぁ、何しようかなぁ、読書はあんまり頭が回っていないこの時間にするのはなんかもったいないなぁとか思って、PCを開きました。

ブログ書けばいいじゃん。

文章を書くということに関しては褒められてきた人生だし、本人も文章を書くのが好きだと思っているので、自分を表現するツールの一つとして文章を書くという能力を少しばかり持っていることはありがたいことです。

今は、好きな音楽を集めたプレイリストをシャッフル再生しながら、カーテンの隙間から差し込む朝日をちょっとだけ感じながらキーボードをカタカタやっている自分に酔っている部分もあります。楽しいのでいいです。

何についての文章を書こうかなって考えた時に、今書けそうな、すぐ内容が思い浮かぶタイムリーなものって恋愛なんですよ。わたしが18年とちょっと生きてきて経験したこととか考えたことが知りたいな、知ってやってもいいなって方は今回もお付き合いください。

前置きおわり。

 

終わりのことを考えながら始める人ってなかなかいないと思うんです。

まぁわたしがそうなんですけど。

自分もそうだよっていう人とは美味しいお酒が飲めそうです。

お酒あんまり好きじゃないので飲めませんけど。

付き合い始めるときに、この人と付き合ったらこうなるかなっていうことよりも、この人と付き合ったその先に別れがあったらどうなるかなっていう方向に思考が向いてしまうんです。付き合い始めに限った話ではないかも。

終わりなんてないほうがいいし、終わらせなければいい話なんですけど、その可能性はいくらでもあるわけで。酷い終わり方をした恋愛を経験しているからなのかはわかりませんが、どうしても終わりを想像してしまうんです。

傷つくのが怖いから。

もう傷つかなくていいんですよ。

もうお腹いっぱいなの。

そろそろ幸せになりたいじゃないですか。

じゃあ恋愛なんてしなきゃいいじゃんって言われるとそれも違うと思うんですよね。

わたしがなんで恋愛をやめないかって、好きでいることが好きだから、誰かを好きでいるっていう恋愛そのものが好きっていうのもある。でもそれよりもちょっと大きめの理由として存在しているのが、自分に一緒にいるだけの価値を見出してくれる人がいるっていうところ。

かなり自己肯定感が低くって、自分で自分のことを上手に評価してあげることができないから、数値で成果が出るものとか、親とか先生とか友達に褒めてもらえるような他人にもわかりやすい頑張りはできるんだけど、そういうのを全部取っ払ったとき、本当に1人になったとき、自分のスペックとか関係なしに人間としてわたしのことを好きでいてくれるっていう人がいるってすごいことでしょ。

だから依存しがちなんですけど。

依存の是非についてはここでは触れません。

めんどくさいので。

褒められることにしか価値を見出せなかったので、生きるのが本当に下手です。

やれば大抵のことはそれなりにできてしまったので、それなりにじゃ満足しなくなってしまう。欲張りなので。できるところまでやらないと気が済まなくなってしまって、その癖がついちゃって、タスクは全部完璧にできていないとできない自分を嫌いになってしまう。

手の抜き方がわからないんです。

だからって生きるのが上手くなりたいとは思わないし、手の抜き方を知りたいともそんなに思いません。下手なりに苦しみながら生きていけばいいや、どうせそれしかできないんだから。

ただ、忠告をしてくれる存在は欲しいんです。

褒められたかった家族とか、友達とかよりも近くでわたしのことを見て、わたしの限度をわかってくれていて、そろそろ休みなよ、休んでも大丈夫だよって声をかけてくれる存在がいないと多分そこらへんで死んでると思うんですよね。

わたしのことを好きになってくれた人には、それになって欲しいんです。

かなり重い話でしょ。

大迷惑。

でもわたしのことを好きになったのはそっちだからね。

 

いろいろ上手く噛み合う人なんてそうそういないんですよ。

好きって本当に難しくて、どっちかの好きが大き過ぎても小さ過ぎても上手くいかないじゃないですか。大きさが釣り合ってないとダメなんですよ、たぶん。

わたしの好きが相手よりも小さかったら、あれ、なんかめんどくさいかもって冷めちゃうし、わたしの好きが相手よりも大きかったら逆で。

だから奇跡ですよね。

起こそうと思って起こせるものじゃないけど、この奇跡は起こしたい。

一生のうちで起きてくれるといいけどね。

みんな幸せになれればいいのにね。

 

すごく長くなってしまいました。

何か言うべきことがもっとあったかもしれません。

かなり重たい内容の話をしてきたので、どうでもいい話をして終わります。

いますごくお腹が空いています。

朝ごはんは昨日買ってきてもらったメロンパンです。

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サムネ詐欺と言われないようなタイトルにしました。

土曜日が始まったのでコーヒーでも淹れようかな。

夏休みの始まりと、本と。

また夏の話です。

でも夏と夏休みとは違うでしょ。

諸事情で1ヶ月ほど帰省していましたが、昨日一人暮らし再開しました。

日本全国どこも暑いんだろうけど、仙台も例外じゃないね。

朝からセミが煩い。

今日の朝は5時過ぎくらいに起きて、なんとなく窓開けたらもうセミが元気だったもんね。彼らも必死なんだろうなぁって思いながら、彼らの声をBGMに二度寝しました。

帰省している間は期末テストとレポートに追われていて、夏休みを実感なんてできなかったので、わたしにとっての夏休みは今日からです。今決めました。

今日から始まる1ヶ月とちょっとの夏休みをどう過ごそうか、大学1年の夏休みって文字にするとなんとなく特別な感じがするものをどうやって大事にしていこうか考えるのが今日の記事です。今回もお付き合いください。

前置きおわり。

 

夏休みしたいこと考えてました。

欲張りすぎかな。

でも人間欲張ってなんぼだから。

わたし多分欲張りなんだろうな。

この中で特に触れたいのが、読書です。

本を読むことは小学生あたりからずっと好きで、それが今のわたしの文章を作ってくれています。小学6年の時に学校の図書館から借りて読んでいた本を帰省していた間に思い出して、母にお勧めしたら見事にはまってくれるくらいには小学生の時から文学を愛しています。小学生の時は、大体の友達は見に行かないような棚の本、特に誰も借りたことがなさそうな、本の表紙の裏に借りた人が名前を書くカードがあって、そこに数名ぶんの名前しかないような本を借りて読むのが好きでした。中学校でも高校でもわりとそうだったんだけどね。

この夏休み中に読んでみたい本をリストアップして行ったら収集がつかなくなってしまったので、紙に書くとかはしないで心の片隅にリストを置いておいて、本屋とかで見つけた時に読むっていうふうにしようと思っています。

読みたい本は新しいものを買って完全に自分のものにした状態で読みたいんですよね。借りて読む本も、古本も、新しく買う本も、内容は変わらないけど、何が違うかっていうと、借りた本とか古本にはそこに読んだ人が考えた跡が残っちゃう気がする。本を読んで考えることって人それぞれでしょ。全然違うことを考えてると思う。それが嫌とかじゃないんです。むしろそれは知りたいんです。でもわたしが考えてる時にそれがちょっと邪魔してくる気がする。どうしても理解できない部分って本の中に絶対あると思うんだけど、そういうときって他の人はどう考えたんだろう、理解できたのかなって気になっちゃうんです。借りた本とか古本にはそれが染み込んでるわけでしょ。他人の思考が自分の近くにあると、それを覗きたくなっちゃって、自分の思考を途中でやめちゃってどこまで考えてたかわからなくなっちゃうっていうことがあるので本は新品に限ります。異論は認めます。

 

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帰ってくる前に、とりあえず文庫本を3冊買ってきました。

そのうちの一冊がこれです。

田中慎弥『共喰い』

高2の時に初めて読んで、多分その時勢いで3回くらい読み返したんじゃないかな。これは学校で借りた本だったけどね。最近思い出す機会があったので、自分のものにしたいと思って購入しました。昨日の夜読み始めて、半分くらいいったんじゃないかな。内容はちょっとあれだけど文章は読み辛くないのですぐ読み終わります。

わたしの夏休みはこの本で始めます。

わたしが読んだ後でよかったら喜んで貸すので声かけてください。

 

今日はちょっと短め。

読んでくれてる皆さんの夏休みも素敵なものでありますように。

タイトルはカッコつけたい

But if you're not around in this crazy world,

it's like the month of August without summer break.

これ、今回のタイトルです。

ちょっと長いから本文に持ってきました。

これ読んでくれてる皆さんなら、こんな英文の意味すぐ分かるでしょ。

ちょっと勘が良い人なら曲名もすぐ出てくるかもしれません。

別にこの曲が好きなわけでもなんでもないんですけどね。

タイトルはカッコつけたいんです。

 

本当はブログなんか書いてる場合じゃないんです。

本を読んでレポートを書かないといけないんです。

たぶんわたしは自分の好きなように文章を書いていないと落ち着かないんでしょうね。

だからTwitterが好きなのかもしれません。

好きなことをするのも休養の一部でしょ、っていう言い訳をさせてください。

決して余裕だからこれを書いているわけじゃないです。

前置きおわり。

 

夏の正体、知りたくないですか?

見出し機能というものを発見したので活用していこうと思います。

冒頭から察したっていうはるね検定1級合格レベルの強者もいるかもしれませんが、夏の話がしたいんです。

最近やっと夏っていう感じの天気になったじゃないですか。

夏は好きですか?

わたしは好きです。

夏を感じて1人で嬉しくなってしまってはしゃいでいます。

なんで夏ってこんなにも人間を物理的にも精神的にも熱くさせるんでしょうね。

好きなものの説明は嫌いですが、夏のどんなところが好きなんだろうって不思議に思ってしまったので考えました。

  • 暑い

まぁそりゃそうだ。

夏だもんね。

純粋に暑さが心地いいんだ、っていう人ももちろんいるでしょう。

わたしは暑さが心地いいというよりは、暑さで理性が欠如しかけていて何かの淵に立たされているみたいな感覚が好きです。もう落ちそう、でも落ちたらどうなるか分からなくて怖い、楽しい、みたいな。

別に分かってもらわなくてもいいです。

「夏」って感じの風景をイメージしてみてください。

青い空と入道雲とひまわり。

わたしの場合は山とか田んぼとか電柱とかも入ってきますけど。

あの空の下では素直にならずにはいられなくないですか。

素直になるっていうことが極端に苦手なわたしでも何となく強くなった気がして、いつもよりは何か言えるんじゃないか、って思ってしまうんです。

わたしって晴れてるときよく「世界がわたしに味方している」って言うでしょ。たぶんそれの延長です。

別に分かってもらわなくてもいいです。

  • アイスがすぐ溶ける

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これのどこがいいんだ、って思うでしょ。

溶けかかったアイスほど美味しいものってなかなかないですよ。

誰かと一緒に食べてるなら尚更。

それが好きな人だったりしたら素敵だよね。

棒アイスを想像して話しますけど、溶けてきて「あっ垂れてきそう、危ない」ってもたつきながら食べるアイス最高じゃないですか。

カップのアイスでも、ドロドロになりかけっていうだけでちょっと楽しくなりませんか。

別に分かってもらわなくてもいいです。

  • 夜が短い

わたしが夜が好きっていうのはたぶんもうご存知だと思います。

深夜徘徊もね。

19時を過ぎないと空は暗くなってくれない。

そのくせに4時とかにはもう明るくなっちゃう。

少ししかないものって大事にしたくなるじゃないですか。

暑くて湿度が高くてなかなか寝付けなくて起きてるしかない時間が嫌いじゃないんです。むしろ好きです。

別に分かってもらわなくてもいいです。

  • 夏のせいにできる

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これ一番大きいと思うんですよね。

クリープハイプ大先生も言ってるしね。

Twitterで呟いてなぜか消してたみたいなんですけど、夏って恋の季節じゃないですか。

夏しかできないイベントがいっぱいある。

たぶん夏が応援してくれてるんだと思う。

夏って大体のものは綺麗に見えると思うんです。

きっと何かの魔法です。

今なら君のことがわかるような気がするんです。

わたしもありますよ、夏の魔法かけられたこと。

かかったんじゃなくてかけられたんです、ここ重要ね。

本当にぴったり夏限定でした。

結局傷ついただけだったんですけどね。

自分で自分の傷を開いていくスタイル。

また病んじゃう前にやめます。

夏の後押しでちょっと強くなった気がして、頑張ってみる。

うまく行っても夏のせいだし、うまく行かなくても夏のせいなんです。

夏万能説あると思います。

別に分かってもらわなくてもいいです。

 

夏の正体知りたくないですか、とか言いましたけど知り得ませんよそんなの。

かたちがない壊れやすいものの一つだと思います。

関係性に名前をつけたがる人っているじゃないですか。

わたしはそれがどうしても理解できなくて。

名付けたり定義したりしてしまうと途端にそれが持ってた輝きというか、何かよく分からない中心核にある素敵なものが失われてしまうような気がするんです。

夏は夏でいいです。

問いに対する答えになっていないので、減点されますね。

もう2000字になりそうなんですけど、自分の書きたいことを文章にしてる時はこんなにすぐ文字数が増えていくのが不思議で仕方がありません。

大人しくレポート書き始めようと思います。

人を待ちながら文章を書くとこうなります

前回雨の話をしましたよね。

今日は晴れです、空に雲はあれど。

これは7月19日に仙台駅の西口と東口の連絡通路にあるベンチで人を待ちながら書いていますので時系列大変でごめんね。

「待つ」という行為は好きでもなんでもないしむしろ苦手です。最近観た映画である女性が「人を待つ時間が好き、その人とこれからすることを想像して焦らされているのが好き」って言っていましたが理解できません。会いたい人に会うために待ち合わせをしているのになんで待たされないといけないの、一緒にいる時間は長いほうがいいに決まってるじゃないですか。この日は結局1時間以上待たされたので、今いる場所の足元の写真だけを送って「はるねを探せ!」って。ちょっとした仕返しです。今度同じ人に会うときは2時間遅れて行きます。嘘です。

前置きが大好きなので、ここまでが前置きだからね。途中まで書いて飽きて後から付け足して、というのを繰り返していますから、よくわからない文章が出来上がるであろうことは目に見えていますが、今回もお付き合いください。

 

晴れは好きです。

まず空が青い。

なんで空が青いのか、難しい言葉を並べて説明したいわけじゃないです。たぶんこの世界を作ったなにかが、こういうときにここにいる人たちからこういうふうに見えたら楽しいだろうな、って思ったから晴れのときの空の色が青に見えるようにしたんです。

そう考えたほうがわくわくするでしょ。

 

その“なにか”の思惑にまんまと嵌ってしまっているのがわたしです。

これくらいだったら許せます。

人の思惑に嵌るのは嫌です、人並みに。

でもよく「騙されやすそうだから気をつけてね」「知らない人についていっちゃダメだよ」って言われます。なんでかな。

これ家族にも言われます。

名誉な言葉ではないので嬉しくありません。

そんな騙されやすそうな見た目してるかな。

まぁいいです。

 

騙されやすそう、というのに関係あるかどうかわかりませんが、わたしは冗談が苦手です。言うのも聞くのも。

全部本当だと思ってしまうんです。

俗に言う「冗談が通じない」女なんです。

つまらないでしょ。

よく言われます。

冗談を冗談ってわかって笑い合うのが楽しいんですよね、わかってるんです。

でもそれが楽しいとは思えません。

そこでこいつつまんねぇなって思っちゃう人はわたしの友達にはなってくれません。別に友達は多ければ多いほどいいっていうわけじゃないし、わたしの「友達」認定基準はわりとハードルが高いので自分では友達が少ないと思っているので何一つ不自由はありませんが。

そんなことはどうでもいいんです。

問題は、いかに人を信じないか。

信じておいて裏切られたらすごく悲しんで被害者面をするのに、平気で人を裏切ってしまうのが人間でしょ。少なくともわたしは自分のことをそうだと思っています。

信じるっていう行為には代償が伴うんです。それもかなり大きいやつね。

でもそれを怖がって人を信じることをやめたら何も面白くない。

裏切りを経験したから強くなるとは思わないし、経験したくなんてないけど、楽しいんですよ、人を信じるのって。

だって信じるって余程好きじゃないとできないでしょ。

好きでいることが好きなのかもしれません。「好き」の説明は嫌いなのでこれ以上は何も言いません。

 

生きていたらほとんどは博打です。

人生が賭けで構成されていると思ったらなんとなくわくわくしませんか。

少なくともわたしはわくわくします。

受験だって賭けだし、恋愛だって賭けだし、ほとんど全部そう。

その賭けに負けたくないと思う気持ちが強くなってしまうものほど、臆病になってしまいがち。いい例なのが恋愛ですよね。わたしの恋愛観を語るのはまた今度ね。

 

たぶんわたしは人間が好きなんでしょうね。

人は死んだら何もなくなると思っていて転生なんかは信じていませんが、もし生まれ変わることがあるならもう一回人間やりたいな、と思うくらいには。

周りにいる人に恵まれてきたというのもあると思いますが、人って本当に面白いんですよ。自分がつまらないって言われてきたから相対的にそう感じてしまうのかもしれませんが。こんないい大学に入って、面白い人と出会うことができる券を大量にもらっているのに、こんな状況で全く利用できていないのが残念です。Twitter上だけでも面白い人がたくさんいますからすごいよね。Twitterやっててよかったです。

 

終わりを見失ってしまった今、この画面に表示されている文字数カウンターが1849文字と言ってくれているので、わたしも読んでくれる人も大変だろうからそろそろ終わらせてあげます。読み返すのが怖い文章が出来上がってしまったので、もう人を待ちながら文章は書きません。

 

ブログってわりとなんでもできるみたいなので、写真とかも載せていろんな方法で読んでくれる人を刺激できたら楽しそうだなと思ったってことだけ言わせてください。

傘を差すのが下手なので

雨が降っているとしますよね。

傘を差すでしょ。

どんなに小雨でも、そんなに風が吹いていなくても、結構濡れちゃうんです。

傘を差すのが下手だから。

だから雨のなか外に出るのは苦手です。

 

わたしは基本的に「何も考えていない」時間の方が多いです。

ただ、一度何かを考え始めるとどこまでも考えてしまう。

それが変な方向に行くと自己嫌悪に陥ったりしています。

雨です。広瀬川もびっくりの大雨。(「考えている」っていう状態を、わたしの身に思考が雨として降ってきている状態に喩えているだけです)

思ったことを自分の中に一つの考えとして貯蓄していくことが苦手です。

わたしに必要なものも地面が吸収してしまうのを許してしまったり、いらないものを自分の中に変な形で取り込んでしまったりするんです。

傘を差すのが下手だから。

わたしのTwitterがわりと活発で変なことばかり言っているのはそういう理由です。

おそらく「メンヘラ」と呼ばれる類の人間に分類される/自分で分類してしまうのも同じ理由です。

いつもありがとうございます。

 

Twitterは便利です。好きなときに好きなことを言っても(誰かの反感を買わない内容であれば)誰にも怒られないし共感してくれる人が現れることもある。

ただ、余白は140字分しか与えてくれません。

土砂災害を警戒したほうがいいような大雨には対応してくれません。

そこで思いつきました。これです。ブログ。

よく「文章が独特」と言われるので(褒められているのか褒められていないのかわかりませんが)、少なくともわたしの文章は好き嫌いが分かれるものなんだろうなと思います。村上春樹とか谷崎潤一郎みたいにね。

Twitterと違って、ブログは一度クリックしないと開けないというところがありますから、読みたい人にだけ読んでいただければいいんです。結局は大雨を止めることができなかったわたしの自己満足にしかなりませんからね。

 

ずっと家にいるのに教授とか課題とかとばかり睨めっこしていては時間がもったいない。わたしは自分とも睨めっこしたいんです。できるならその睨めっこには勝ちたい。

大きな勝負ですから、記録を残しておかないともったいないでしょ。

言語化するということをサボりがちな人間ですから、うまく言葉にできる自信なんてもちろんないし、やっぱり無理、ってなってしまうかもしれない。

でもとりあえずやってみたいんです。

わたしの60%が水で構成されているんだとしたら、残りの20%くらいは好奇心、あとの10%は虚無かなと思うくらいには好奇心は強めなので。

雨が降ってきたときに傘になってもらう場所です。

一緒に雨宿りしましょう。

 

余談ですが、なんとなく気持ちが沈んでたり悲しい気持ちのとき、「心に雨が降っている」みたいな表現をする歌ってよくあるじゃないですか。

雨に失礼だから好きじゃないです。